10月7日以来、イスラエル軍はパレスチナで1万人以上を殺害している。そのほぼ半数が子供達だ。それに対し、世界中の人々が連帯して集結している。多くが、停戦の要求から、米国政府によるイスラエルへの兵器供給を阻止する直接行動の行使へと進む方法を模索している。11月6日(月)寒空にも拘わらず、数百人がワシントン州タコマ港に集まり、イスラエル軍に装備品を送る予定の輸送船の入港を阻止した。
以下のテキストで、抗議行動参加者達が、ピュージェット湾の港湾封鎖の歴史を振り返り、抗議行動での経験を共有し、継続的な大洋横断連帯に向けたインスピレーションを提供しようとする。
抵抗の段階的拡大
11月2日(木)ガザの爆撃と侵攻に抗議するデモ参加者達がノースカロライナ州ダーハムの高速道路を封鎖し、フィラデルフィアの30thストリート駅を閉鎖した。11月3日(金)の早朝、カリフォルニア州オークランドの港で、デモ参加者達が、イスラエル行きの軍事装備品を受け取るためにタコマに向かう予定だった米国緊急予備艦隊のMVケープ゠オーランド号にまんまと乗り込んだ。ケープ゠オーランド号は、運輸省が所有し、国防省が指揮を執り、商業船員が管理・乗務している。何時間もの睨み合いの末、湾岸警備隊はようやく抗議者達を船から降ろせたのだった。
その後、船がタコマに着いた際に、再度抗議行動が行われるとの噂が広まった。抗議行動はいくつかの全国組織とその地方支部の連合体が発表した。ファラスティニヤット(パレスチナ人ディアスポラ゠フェミニスト゠コレクティヴ)・サミドゥーン(パレスチナ人受刑者支援全国ネットワーク)・アラブ゠リソース&オーガナイジング゠センターである。アラブ゠リソース&オーガナイジング゠センターはオークランドでの抗議行動の組織化にも関わっていた。
タコマでの結集は、当初、11月5日(日)午後2時30分に予定されていたが、船の到着に関する最新情報を受けてオルガナイザー達は時間を変更し、月曜日の午前5時に集合するよう呼び掛けた。土壇場の変更で勢いが削がれるのではと懸念されたが、その朝、数百人のデモ参加者が姿を見せた。封鎖行動自体は、複数の地点で継続的ピケを張り、当局に車を押収される危険を厭わない相当数のドライバーが支援していた。
ILWU(国際港湾倉庫労働組合)が日勤で派遣した労働者全員が船への積み込みを阻止された。港湾労働者の積み込み阻止が封鎖行動の目標だと広く理解されていたのである。しかし、残念ながら、軍用貨物船が船に達するのは止められなかった。米軍が積み込みに介入し、スト破りのように行動したのである。どうやら沿岸警備隊の船で港に忍び込んでいたらしい。
闘争の霧が晴れた今、その日の出来事を詳細に振り返ることができる。
数十年にわたる港湾封鎖の経験を活かす
北米太平洋岸北西部には港湾閉鎖行動の長い歴史がある。
1984年、国際港湾倉庫労働組合(ILWU)の港湾労働者は反アパルトヘイト活動家と連携し、南アフリカからの貨物荷降ろしを拒否した。2006年から2009年にかけて、港湾軍事化抵抗運動がオリンピア港とタコマ港を何度も封鎖し、イラクとアフガニスタンの占領に抗議した。2011年と2012年には「オキュパイ/デコロナイズ゠シアトル」参加者がILWUロングビュー支部の港湾労働者と連帯して組織を作り、シアトル港など複数の港湾を閉鎖した。
2014年、デモ隊が、「ガザの港が自由になるまで、港にイスラエルの船は入れない」と歌いながら「ブロック゠ザ゠ボート」というスローガンを掲げてタコマ港を封鎖した。参加者の一人は、2002年にガザでイスラエル軍に殺された学生、レイチェル゠コリーの母だった。レイチェルは、イスラエル軍によるパレスチナ人家族の住宅破壊を阻止しようとして殺された。2015年、一人の女性活動家が「シェル、ノー」のスローガンを掲げてロイヤル゠ダッチ゠シェル社の石油試掘計画の支援船に自分自身を鎖で縛り付けた。「ブロック゠ザ゠ボート」抗議者達は、イスラエルが運航するZIMサンディエゴ号の荷降ろしを数週間遅らせた。アラブ゠リソース&オーガナイジング゠センターは「ブロック゠ザ゠ボート」抗議行動の組織化に一役買っていた。
今日、タコマ港はこの地域の軍事物資積み込み地として好まれているようだ。多分、「港湾軍事化抵抗」がオリンピア港のロジスティクス閉鎖に成功し、一方、タコマ警察はイラクとアフガニスタンに軍事輸送を維持できるだけ充分な暴力を行使できたからだろう。様々な港湾封鎖行動は、ILWU労働者・疎外された移民のトラック労働者・環境保護主義者・反戦活動家の間で長年にわたる組織化を促した。カヤックティヴィズムという新しい戦術が、シアトルの資源抽出主義反対闘争から生まれた。シアトルでは、船乗りの親和グループが、沿岸警備隊と(事態を象徴的なままにしたがっている)環境保護NGOの裏をかけた。カヤックを漕ぐグループが逮捕されずにシェルの船を座礁させたこともあった。2023年11月6日(月)のデモでは強化断幕を持ってきた参加者もいた。2021年のシアトル港「ブロック゠ザ゠ボート」ピケでの軽装のデモ参加者に対する警察の暴力的排除を覚えていたからである。
何年にもわたり、こうした港湾封鎖行動がこの分野における様々な戦術革新を刺激してきた。2017年11月、デモ隊はオリンピアを通る線路を封鎖した1。先住民族の水保護・土地防衛闘争が激化し、地元住民が連帯行動を行おうとした際、港湾封鎖は途轍もなく困難に思われたため、採掘用プロパントを港に運ぶ線路の一部が選ばれたのである。この占拠は間違いなく港湾封鎖行動以上に防衛的で効果的で、一週間以上続いた。今後の実験分野となるかもしれない。
港湾に集結
タコマ港とその近くにあるICE拘留センターは工業地帯にあり、そこには警察学校もある。狭い難所からしかアクセスできない。過去、警察はこれを利用して抗議者を標的として嫌がらせをしていた。先のオークランド港行動はもっと都会的な場所で行われた。タコマに停泊する船に対する準備をするに連れ、様々な弾圧の可能性に関する懸念が大きくなった。港湾軍事化抵抗闘争のベテランなどロジスティクスに意識を向けている人々は、この特殊な港での行動を実行するにあたり考慮すべき事項をリストにまとめた。
月曜日の朝、人々は前向きなエネルギーと強化断幕を持って集まった。数百人が連携して物資を運び込み、相次いでピケ隊に加わった。計画では、第7埠頭の3つの入り口全てでピケラインを張ることになっていた。結果的に、警察が先手を打って入り口を封鎖し、港のフェンス裏に車両を止めて陣取っていた。デモ隊はシュプレヒコールをあげながら円を描いて行進し、一部は即興のバリケードを作るために資材を集めた。
アナキストの一部は離れた場所に留まり、拘留者支援に備え、安全上の事前注意事項について参加者にアドバイスしていた。近くのカジノに陣取り、増えているシグナル゠グループの噂を調査して潰し、参加者に必要な情報やコミュニケーション゠ループに繋ぐ手助けをしている者もいた。自律的にであれ、オルガナイザーとの会話しながらであれ、展開する行動に貢献すべく参加者全員がベストを尽くしていた。
デモは、不可能と思われていたことを見事に達成した。ILWU労働者が軍用貨物積み込みを阻止したのである。予想に反して、これでは不充分だった。年季の入った港湾労働者でさえ驚いていた、軍がスト破りのように行動して船に荷物を積み込めるようにしたのである。
逆に、そもそも港への物資到着阻止に集中できただろうか?公開されているシフトスクリーンによると、最終的に船に積み込まれる貨物は、元々抗議行動が計画されていた11月5日午後2時30分の開始時刻には既に港に到着していた。日曜日の午後は間違いなく、これほど短期間の告知で大衆行動を結集できる最速の時刻だったと思われるため、ILWU労働者の阻止を優先して貨物阻止の考えを放棄したとしても当然だった。もちろん、軍用物資の入港情報がもっと早く出回っていれば、別な可能性があったかもしれない。
オルガナイザー達は、ILWU第23支部と緊張関係をもたらしかねないにも拘らず、労働者阻止のアプローチを選択した。ILWU関係者は第23支部の支部長はシオニストだと評している。第23支部の労働者の大部分は、建前上この行動に反対していたが、ピケをリスペクトしていた。2 支部長は、ILWU労働者を船に乗せるよう提案しさえしていたとされているが、この計画を軍は拒否したらしい。
翌朝、オーランド号の出発を妨害するためにカヤック船団が編成されるという噂があった。結局、ピュヤラップ族とニスカリー族などセイリッシュ湾諸民族のメンバーが舵を取り、数名のカヤッカーを伴ったカヌー1艘が11月6日に短時間船の運航を阻止したものの、11月7日に噂は全く具体化しなかった。
この介入は先住民族グループと協働する倫理的・戦略的必要を思い起こさせる重要なリマインダーである。先住民族グループは、土地と水を知り、植民地暴力に対する闘争の生きた記憶を保持し、米軍を何度も出し抜いた経験を持っている。
この介入は先住民族グループと協働する倫理的・戦略的必要を思い起こさせる重要なリマインダーである。先住民族グループは、土地と水を知り、植民地暴力に対する闘争の生きた記憶を保持し、米軍を何度も出し抜いた経験を持っている。
船は出港したが、ILWUのシフトスクリーンに従って作業予定だった1台のストライカー装甲兵員輸送車は積み込まれなかった。多分ピケのためだと思われる。軍の作業員が輸送コンテナ積み込みに不慣れだったと考えれば、この船に割り当てられた時間内にどれほどの貨物が完全に積み込まれたのかは不明である。港湾は、資本のグローバル゠サプライチェーンを混乱させないよう厳密なスケジュールを守っているからだ。
評価
主要オルガナイザー達は、抗議行動の最中にフィードバックを受け取り、情況に応じて戦略を変更し、組織としてとかパレスチナ人だからといった権威に訴えず、自分達が何をしようとしているのか明確にし、自分達の選択を説明するようコミュニケーションを変化させていた。しかし、一部の参加者は、事態の展開に不満を漏らしていた。何が起こっているのか包括的情報を得るのは難しく、そのために、人々は自分で判断し、自律的に行動できなくなっていた。現場にいたアナキストの中には、オルガナイザー達が抗議行動を中止した時にも船はまだ積み荷中だったと報告している者もいる。また、デモにはまだ数と勢いがあったのに、軍が装備を積み込んでいた事実を公表しない選択をしたことを疑問視する者もいる。
オルガナイザー達がどの程度意図的に情報を隠蔽したのか判断は難しい。私達は、他者の意図について憶測する誘惑に抵抗しつつ、建設的フィードバックを提供し、原則的批判を行うことが重要だと考えている(さもなくば、最悪の場合、犯人探しに従事してしまい、運動への現実的侵入やセキュリティ違反に対応できなくなり、進行中の諸問題を誤って判断する一因になるものである)。
C当局への協力--特に、他の急進主義者を犠牲にして--は常に容認できない。これは、権威主義組織が支配するイベントの定番だ。幸い、この種のことは11月6日の封鎖行動では起こらなかったようだ。この議論のどちらの側にいようとも、条件反射的反応を受け入れず、想像上白人しかいない「冒険主義者」や抑圧的な「平和警察」へ悪意を投影しないように注意しなければならない。
この精神に則り、私達は懸念を綴る。オルガナイザーは兵器が船に積み込まれたと公表すると同時に、闘争の勝利を宣言した。これは以下の疑念を助長する。元々の意図は、兵器輸送を実際に妨害しない象徴的な「ブロック゠ザ゠ボート(船の阻止)」で、実質的な影響力のない「運動の勝利」を達成したかのような印象を創り出そうとしていたのではないか。このような空虚な勝利は、運動と勢いを委縮させ、イスラエルへの兵器輸送を阻止しようと急遽集まった何百人に不信感を植え付けかねない。失敗を認め、最善を尽くしたにも拘わらず、当局が目的を達成したと認め、ガザの人命を救いたいなら私達の活動をさらに強化しなければならないと確認した方がましだろう。私達が何に立ち向かっているのか知るためにも、オルガナイザー達には正直に話してもらわねばならない。
強調しておかねばならない。最後に船に荷物を積んだのは軍であり、ILWUではなかった。この動きに先例はなかった。港湾軍事化抵抗運動の際に軍がデモ隊を監視していた時もそうだった。しかし、想定外であってはならなかったのだ。今後、私達は、軍には資本主義のロジスティクスに直接介入する用意があると肝に銘じて置かねばならない。
また、これは、ピケラインとターミナル周辺街路の封鎖という手段による船舶封鎖戦略の弱点を浮き彫りにしている。実際に船を止めるためには、もっと多くの破壊的活動が必要かもしれない。そこには、ターミナルそのものを襲撃し、警察の暴力・逮捕・連邦政府による弾圧の危険を冒す可能性も含まれる。
オークランドで、人々は港湾警備を突破して乗船できたが、警察が人数を投入していない時に、奇襲攻撃の要素を使って行動して成し遂げたのだった。タコマで船にたどり着こうとしても全く別だっただろう。オークランドの行動はタコマのオルガナイザー達にとって重要な時間稼ぎになったものの、それはまた、同じ戦略の再利用を遥かに難しくした。いずれにせよ、どちらのアプローチも結局は出港を妨げられなかったのである。
だからといって、私達が行ったやり方でターミナルを封鎖する理由が全く分からないと述べているのではない。むしろ言いたいのは、オークランドとタコマで採用された阻止戦略以上に、戦争資本主義機構の方がもっと広範で適応力があるということだ。どのような形でエスカレートさせるにせよ、さらに多くの戦闘性・リスク許容度・戦略革新が必要になるだろう。
私達は自分達の能力・限界・直面している課題に正直にならねばならない。多くの人々はピケに参加する覚悟をしていたが、保護された施設を襲撃するには、別な事項を考慮し、資材を準備し、利益対結果の冷静な評価が必要である。襲撃しなかったという事実を単にオルガナイザーのせいにしてはならない。充分強力な運動は、指導者によってさえも抑制できないのである。
米軍がピケ戦略を出し抜いたこと--そして、パレスチナで起こっていることの由々しい重大さを考えると--「何故、港を襲撃しないのか?」は今後の戦略立案にとって良い出発点になるだろう。しかし、この時点から港はますます厳重に警備されるようになるだろう。もう一つのアプローチは、港から視点を後ろにずらして、港の外側に介入地点を探すことである。この点で、2017年のオリンピア線路封鎖行動は有望な先例となるかもしれない。
同様に、協働しなければならない時には意見の相違を解決する方法を模索すべきだが、自律的に組織している際にも情報共有・調整方法を模索できるだろう。どのような戦略を使うのかについて意見が一致しないかもしれない。しかし、どこまで合意し、どこで分岐するのかを探り、情報を取得して循環させ、多種多様な戦略を一度に試してみることはできる。
支配秩序の論理とロジスティクスは世界中で絡み合っている。イスラエルの兵器は、9月に、アゼルバイジャンによるアルメニア飛び地ナゴルノ-カラバフの侵攻に一役買った。監視・占領・弾圧テクノロジーは、ガザの包囲とヨルダン川西岸の分断で洗練され、米国南部の致命的国境沿いに配備されている。誰かの電話をハッキングしなければならない時に、FBIはイスラエルに電話をする。セイリッシュ海の様々な港から中東の東海岸まで、全てが繋がっているのだ。
帝国の腹の中で叛乱を起こそう。私達でなければ、誰がやるのか?今でなければ、いつやるのか?
関連テキストと音声データ
- The Olympia Train Blockade(ポッドキャスト)
- パレスチナ連帯の戦略:ツールキットの拡大
- Reportback from the Port Blockade in Tacoma (2023/11/12時点でリンク切れ)
- The Boat That Wasn’t Blocked
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オリンピア線路封鎖行動が始まって11日目に発行された新聞が、封鎖行動参加者の経験と参加動機を記している:「午後5時に家に帰ったら、100万件ぐらいのテキストメッセージが来ていて、全て同じ内容でした:ダウンタウンで採掘列車の運行阻止行動がある・去年と同じ場所だ・参加して。私は仕事帰りで疲れていて寒くて濡れてもいたし、友人達と安息日を過ごす予定でした。でも、絶対に線路封鎖行動を見過ごすわけにはいかなかったのです。『封鎖行動で安息日を過ごそう!』と友人達に伝えました。環境破壊と先住民族虐殺に使われる資材を満載した列車を止めるのがティックーン゠オーラーム(世界の修復)じゃないなら、私には何がティックーン゠オーラームなのか分かりません。 ↩
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過去に労働組合の労働者が行っていたように、健康・安全上の懸念のために公式的に作業を止めてはどうかという議論もあったが、どうやら公式的には実行されなかったようだ。 ↩